2006年11月05日

キリスト教徒である喜び

 「奴」が来年結婚することを知って凹んでたワタシですが、今日、礼拝に行って、なんとなく気持ちが少し軽くなりました。
 いつもは、夕礼拝に出席するのですが、今日は早く起きて午前の礼拝に出席。聖餐式も行われて、計り知れないほどたくさんの恵みを与えていただいたのでした。
 今日は、「全聖徒主日礼拝」でした。所属教会の招天者の一覧が配られたのですが、その中に、ワタシが洗礼を受けた頃に教会におつかえになってらした、とてもとても優しかった外国人の牧師センセの名前を発見しました。ワタシは病気がひどかった数年はクリスマスにしか礼拝には出席できませんでしたが、その間に天に召されていたようです。てっきり、他の教会で元気にお過ごしだと思っていたのに…とても残念です。
 話は変わって、本日与えられた福音書は、ヨハネによる福音書15章1-17節。
 イエスはまことのぶどうの木
 これは、イエスさまとわたしたちの関係を、ぶどうの木とぶどうの実に例えた、分かりやすい福音書です。そもそもキリスト教というのは「神さまの教えに叶う人間は誰一人としていない。だから、洗礼を受けて、罪の赦しを請うのだ」というところから始まっています。罪人である人間のために、神さまは御一人子、御子主イエス・キリストを十字架にかけられたのです。愛があふれています。
『わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである』(ヨハネによる福音書15章4-5)
『あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたに任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である』(ヨハネによる福音書15章16-17)
 あぁ、クリスチャンで良かった。
posted by miri at 22:21| Comment(4) | TrackBack(0) | ざっかん雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あぉ、なんか懐かしい〜。
高校3年+大学4年、あわせて計7年間キリスト教系のがっこに通ってましたんで、日曜礼拝は7年間毎週。日々の朝礼終礼もお祈りつき、道徳の時間は宗教の時間という日々でした。根っからの不信心者ゆえ洗礼をうけるには至りませんでしたが、卒業してからも時折自分の心が不安定だな、と思うときには主の祈りを思い出したように唱えてたなぁ。祈りというよりはどちらかというと多感な頃にインプットされたお題目に近かったとは思いますが。
Posted by かずぷ〜 at 2006年11月05日 23:29
あ、途中で押しちゃった。
先生や友達にも洗礼を受けている人は多かったわけですが、信仰を持つ人の強さみたいなものは鮮明に覚えています。強い、というか、足元がしっかりしてるんだな。よってたつところがあるとでもいうのか。

ともあれ、心が軽くなられたようでよかったです。全てのことを糧として、ますますいい女になってください。
Posted by かずぷ〜 at 2006年11月05日 23:35
私も、なつかしい〜。

幼稚園、そして間あけて高校大学とミッション系でございました。でもやっぱり不信心なんですけど(笑)。
幼稚園の卒業文集、といっても先生がみんなとの思い出を冊子にして下さったんで園児が参加したわけじゃないんですけど、その表紙がぶどうの木の絵だったんです。ぶどうの実の1こ1こに園児1人1人の名前がちっちゃく書かれていて、自分の名前をさがしたらわりと真ん中のほうにあってうれしかったのを憶えてます。今思うと、あの位置にも先生いろいろ気をつかっただろうなあ、と(笑)。どうしてもだれかが先に来ちゃいますもんね。

ちょっと心配してましたが、ブログで声が聴けてよかったです。ミリイちゃんならまた素敵な恋ができますよ。うん。
Posted by Mari at 2006年11月06日 07:50
>かずぷ〜さん
おお!7年間、日曜は毎日礼拝だなんて素晴らしい!ワタシは、洗礼を受けて11年目ですが、間に病気で何年も通えなかった時期がございますし、現在でも「今週は休んじゃえ」などということが多々ございますので、一体、人生を通して何回くらい礼拝に通っているのか分かりませぬ。ワタシがキリスト教に最初にふれたのが幼稚園児の時でした。子どもですから、いわゆる「日曜学校」だった訳ですが、やはりその頃から「今週は休んじゃえ」が多々ございました。結構不真面目な信者なんですよね。でも、大人になってから、また宗派も調べて(ルーテル派です)通い始めたってのは、やはり縁があったのかなぁと思います。家族で信者なのはワタシだけなんですけれど、もしワタシが親より早く死ぬようなことがあったら、葬儀は教会でやって欲しいものです。

>Mariさん
幼稚園の卒業文集の表紙がぶどうの木というのは、まさに聖書からの引用ですね。とても素敵だと思います。ぶどうの実の一個一個に子どもの名前を書くというのは、みんなひとつの枝でつながっているんだよ、ということを表しているんでしょうね。まさに、ヨハネによる福音書15章!でも、どの位置にどの子の名前を書くかは先生、悩んだでしょうねぇ。ひとつの枝だから、どこでも同じなんですけど、子どもってそういうの気にしますからね。
ご心配をおかけしましたが、少しずつ浮上していきたいと思う所存でございます。
Posted by ミリイ at 2006年11月06日 19:03
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